いつ大人になるのか

 

 流行りに乗ってインフルエンザを患い、久しぶりに39度の熱を出した。とはいってもつい半年前にコロナでそれを上回る熱を出したため手慣れたもので、やばくなるぞ、という気配を感じた瞬間に解熱剤やら水やらを準備する。一人暮らしの体調不良は初期対応が肝心だ。限界を感じ眠りにつくとおびただしい量の汗と全身の痛み、発熱による頭痛でちょっと泣きそうになる。身体が弱ると精神も弱くなるものだ。健全なる精神は健全なる身体に宿るのだから仕方ないと己をなだめる。数日間うなされつつベッドに張り付いていると、徐々に頭の中がクリアになっていく。体調不良の時によくある状態だ。身体はまだ熱を発しているが、十分な睡眠に満足して脳が暇になるのかもしれない。溜まっているであろう仕事の算段を考えていると、ふいにひとまわり年下の会社の後輩に「いつ大人になったと思いました?」と聞かれたことを思いだした。

 その他部署の後輩は私の部署の同僚にとても懐いており、彼女のデスクの横にこっそりしゃがみこんでは他愛もない話をしている(そして上司に見つかるたびに叱られている)囁くように話すふたりの邪魔をしないよう仕事をこなしていると、突然彼女から前段の質問を投げかけられた。彼女は続けてこうも言った。「欲しかったものを大人買いしたときですか? 社会人になったとき? 私全然社会人の自覚なくって」すこし考えたあと、私はこう答えた。「まだ大人じゃないからわからない」と。ふたりはけらけらと笑ってくれた。いいボケだと思ってくれたらしい。

 あの答えは自分の本心だったと今になって思う。

 自分で稼いだお金で生活しても、年齢を重ねていても、自分が思う「大人」には届かない。いい大人は体調を崩して両親や妹にめそめそした連絡をしないだろうし(心配した母親が煮物を送ってくれてさらにめそめそした)、飲み会で気が大きくなって終電を逃し3時間歩いて帰ったりしない(泊まることもタクシーに乗ることもせず元気いっぱい歩き翌日筋肉痛)自分の生活を振り返れば、誇れる話がひとつもない。

 同世代の友人たちはすっかりステージを変えて、大人の世界を進んでいる。違いは明確で、みな自分以外のなにかに力を注いでいる。それはパートナーであったり、子供であったり、ボランティアの活動だったりと形はさまざまだ。私が思う大人とは他者に力を使える人なのだ。母親になった友人などはそのわかりやすい例だろう。自分のためだけにしては人生は長すぎるし、誰かのためには短すぎる。そんな言葉を聞いたことがあるが、毎年自分のことだけでイベントを起こしすぎてこのままではあっという間に終わってしまいそうだ。

 来年は誰かのためになにかできる人間になろう、と布団の中で決意しながらも、まずは健全な精神を宿す健康体になりたいと咳き込む午後だった。

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